2021/11/15 入院して1ヶ月が経過しました
苦痛回避を念頭に生きるしかない
本日で先月の15日に入院してからちょうど1ヶ月が経過しました。
とは言っても日数で合算すると今日で入院して32日目なので、正確には昨日か一昨日が1ヶ月といっていいかもしれませんが、別にそんな細かい事は良いでしょう。
さて、この1ヶ月で当然の事ではありますが、随分と入院生活に慣れて来ました。
いや、慣れてしまったのです。
この言葉から察するに、入院生活に慣れてしまった事の何がいかがわしいのか…
それは何かというと、退院後には当然のように家での生活が待ち受けていますが、その生活にまずは慣れる必要があるからです。
前にも申したように、自分が家を空けている間に家の状態が随分と変わって、今や家で自分の拠点としていた場所もないという事もそうですし…
第一に家族(特に両親)が自分の状況を知っているうえ、精神科の閉鎖病棟に入院していた異常者の自分をどう迎え入れ、どう一緒に生活していくのかという気まずい問題があります。
入院前の家の状況とはまるで違うのでそれに慣らす必要もそうですが、家族の心理的な面からも考慮するに今まで通りの生活は不可能といっても良いでしょう。
それらはなるべく入院中に外泊等で徐々に把握していけるものでもありますが、実際に退院して家で暮らしていくとなると、次には自分の将来の事を考える問題がメインに押し掛けてくるので、そういった次のステップアップのための行動にも慣らさなければなりません。
また退院後にも病院には通い続ける予定が既にあり、自分の精神的な部分もしっかり様子見する必要が出て来ます。
人間新しい環境に置かれるとストレスを感じるものですが、自分の場合はただ単に拠点とする環境が変わるという事ではなく、その場に住む人間の心情も変わっているという問題があり、いやむしろ後者の方が大きい問題だと思っています。
このような事柄が退院後には待ち受けており、自分も受け入れなければなりません。
しかしそれは全て「生きる」という選択肢を選んだ前提においてのものです。
もちろん生き続けている限りは苦痛から回避する事は出来ないですし、退院後には前述したような家での生活に慣らすという過程のストレスが発生し、言わば一種の苦痛と捉えられるものがすぐに待ち受けているわけです。
これらの人生の苦痛から完全に回避できる唯一の方法、それが言うまでもない“アレ”なんですよね。
自分が今後生き続けるという事を前提とした場合においては、苦痛を如何に減らすのかという事が総合的な課題になって来ます。
苦痛を“少なくする”という事で、完全にゼロにするのが出来ないという事は人生の救いようのない面でもありますし、やはり“アレ”をする他ならない気持ちは前々から述べている事ですが当然のようにあります。
生きる事を前提とするならなるべく当然取り除きたい要素でもありますが…
果たして人生という呪いの所業の最中からそれらを取り除く事は出来るのでしょうか。
それは今後の自分の判断に委ねられるでしょう。
地獄の中からマシな地獄を見つけてゆくという作業がこれから待っているのです。
なんだか毎週金曜日にやっている記事を似たりよったりの内容の記事でしたが、取り敢えず自分の気持ちの面では相変わらず変わっていませんね。
人生何があるか分からないという言葉を筆頭に、ここからさらなる底にある地獄に堕ちる可能性も勿論あります。
そんなんでもめげずに生きよう!
とは思えませんね。
自信の今後の命運は、この20代のうちが肝になって来ます。
20代時点の人生で今後の人生のほとんどが決まってしまうと聞きますから、まあ若いうちは体力と脳の働きが活発だからでしょう。
いい年になっても底辺のままで苦痛にまみれた人生であったら…
それ以上は言わない事にします。
11月14日(入院31日目)の病院食
昨日出された朝昼夕の3食全部見せます。
以上です。