2021/11/05 入院して3週間が経過しました
毎週金曜日は定期心境開示の日になりつつある
さて、以下の記事を書いてまた一週間が経過し、入院生活も3週間目に突入しました。
入院してから現在までも自分は相変わらず呑気にブログ書いたり、ネットサーフィンしたり、読書したりといったように暮らし様には全然変化はありません。
入院生活においては、幸福かといったらそうではなく、かと言って苦痛に感じる事もあまりなく、幸福と不幸のグラフの振り幅は非常に少ないほぼ平行線を辿っているような状況です。
入院してから現段階までこの状態が続いていますが、やはり退院後のような“外の世界”の事を考えると、苦痛が多いものであると悟ってしまう状態になり、不安と焦燥感に駆られる事は相変わらず変わりありません。
上に貼ってある入院して二週間が経過した際の記事でも述べている通り、直近である予定といえば一時的に家に帰る事(外泊)です。
入院前を含めて家に帰っていない期間はそろそろ1ヶ月になりそうですが、自分がいない間に家にあった自分が拠点としていた場所は撤去され、それもあってか家族が部屋を用意してくれると言っていますが、自分としてはいつまでも実家にいようとは考えていなくそこまでする必要はないと思っています。
そういった帰るにしてもどこを拠点にするのかという問題があります。
それから外泊、退院後は家族がどう迎い入れるのかという問題、大学の事、大学の学費を賄うために借りた多額の奨学金の返済、仕事といった将来の事諸々をどうするのか様々な問題を抱えており、生き続けるという選択をする以上、退院後は地獄を見ると思います。
また主治医の先生からハローワークという単語が出てきて、「あぁ、堕ちる所まで堕ちてしまったな」という事を実感させられて、尚更退院後のキャリアは苦痛と地獄にまみれた所業です。
やはり人生は救いようのないもので、究極的な救いを求める方法が自◯なんですよね。
自分の今後の人生は、快楽を多くしたいというよりも、苦痛を極力少なくしたい(我儘を言えばゼロにしたいが生きている以上無理)という願望の方が強いので、自◯を完遂する事でそれらの自分の欲求は確保されるわけです。
快楽を得られないが苦痛も得られないという無の状態が物凄く羨ましい状態であってならないのです。
果たして自分が生きている間に、それらの快楽少なき苦痛少なきな人生は訪れるのでしょうか。
何年経っても、苦痛の多い状況ならそれは今までの状況から察するに、今後共に苦痛の増幅に繋がる可能性が高いので、再度決行を検討するかと思います。
苦痛の多い人生は自身はもちろん、その人の家族がまともならその家族も苦しむものだと思います。
苦痛が多い事は悪い事だから、その苦痛から開放される手段として実行する自◯、正直何故いけないのかが分かりません。
先週に引き続き、生き続ける事を仮定したら救いようのない絶望的な終わり方になってしまって申し訳ありません。
オチが絶望的なので、今後の未来に希望を持てる終わり方にしましょう。
外泊に行ったら、まず髪を切りたいです。
これしか思いつきませんでした。
終わりだ
11月4日(入院21日目)の病院食
昨日出された朝昼夕の3食全部見せます。
以上です。